「おわり」とは、時間的な「終わり」のことではなく、神が持っておられる「完成」のビジョンです。
それは、ロバート・コールマンが、“The Master plan of discipleship”で第一にあげた「成就すべき幻」です。
「始めるべきところは、終わりのところ、つまり、万物の完成における教会のビジョンである。」
(コールマン「主の弟子として生きる」183頁)
そこにおいて、私たちは宣教協力をすべきだし、それができるのではないでしょうか。
そこから希望が与えられてくるのではないでしょうか。(小平牧生)