第二回日本伝道会議
京 都 宣 言(第2回日本伝道会議)
私たちは聖書を誤りない神のことばと信じる者たちであり、福音宣教について主から使命を与えられている者たちである。すぐる1974年に第1回日本伝道会議を開き、日本および世界の宣教についいて考えるときをもち、最後に京都宣言を発表した。
その後、その線にそって、わが国における教会の主体性をもった宣教がなされ、聖書信仰に立つ教会は大きく成長し、協力も行われた。しかし、普遍的公同教会の一員としての自覚に立った一致協力は、なお、不十分なものであり、私たちは主の宣教命令に必ずしも忠実でなかったことを認め、ここに告白する。
終末の時代にあって、主の再臨を待望する今のときに、福音の宣教はさらに緊急を要する事柄であり、私たちは再度、京都に集まり、第二回日本伝道会議を開き、重荷を分かちつつ、みことばを学び、教会を主体としたわが国および世界の宣教について、ともに考えるときをもった。この会議を閉じるにあたり、次の宣言文を発表する。
《T 宣教の権威》
1.宣教についての神のみこころ
万物の創造者であり、また支配者である三位一体の神は、ご自身の栄光のために、この世からご自身の民を召し出し、ご自身の証人としてこの世に遣わされた。神は、すべての人が救われ、真理を知るようになることを望んでおられる。そのために、ご自身の民に宣教の使命を与え,宣教によって人を救うことをよしとされた。
したがって、現代における神の民である教会は、主の委任により、宣教の使命を果たしていかなければならない。私たちは、聖霊の力により、この使命を果たすため、神のみこころに従うことを決意する。
2.規範としての聖書
私たちは、旧新約聖書66巻が、神の霊感によってしるされた唯一の誤りない神の権威あるみことばであり、私たちに、罪からの救い主である主イエス・キリストを示し、信仰と生活の唯一の規範であることを確認する。私たちは、聖書の教えていることに従い、宣教しなければならない。
聖書は、私たちに救い主を示すだけでなく、救いの道を示し、救いとは何を意味するのかということ、また宣教とは何なのかということについても教えている。人が救われるのは、神のみわざによるのであるが、聖霊はいつも聖書とともに働き、みことばによって人を救われる。
3.宣教の主体としての教会
宣教は、教会にゆだねられた働きである。父なる神が御子イエス・キリストをこの世に遣わされたように、キリストは贖われたご自身の民を世に遣わされた。この贖われた民こそ教会である。教会は、イエス・キリストのからだとして普遍的公同教会であると同時に、歴史的・社会的現実において個々の教会、教団として存在している。
教会は、聖霊により、この世にあってかしらであるキリストに倣い、多くの犠牲を払い、福音宣教に励むべきである。教会の主要な任務は、内側においては、キリストのからだである教会を建て上げることであり、外側に向かっては、キリストの福音を宣べ伝えることである。
《U 宣教の内容》
1.宣教の内容としての福音
私たちが宣べ伝えるべき福音は、聖書の提示しているものであり、これ以外にないことを確認する。また、福音の中心は、主イエス・キリストであり、キリストが唯一の救い主であることを確認する。永遠の神であるキリストは、人となられ、罪人のために贖いの代償として十字架上に死に、三日目によみがえり、天に昇り、父なる神の右に座して、私たちのためにとりなしてくださり、神と人との間の唯一の仲保者である。
したがって、救い主イエス・キリスト以外でも救われると教える異教、異端、混合宗教を断固しりぞける。「この福音と違ったものを宣べ伝える者はのろわれよ」。
2.救い
福音の提供する救いは、人間の不幸・悲惨の根本的原因である罪、および、その結果であるいっさいのものから救出であることを確認する。救いとは、ただ単に個人の魂の救いだけを意味するのではなく、全人的救いを意味するのであるが、その個人の救いから始まり、全宇宙がキリストの支配の下に置かれる秩序ある世界へと向かっていくものである。しかしながら、その発端は、ひとりひとりがキリストのもとに来て、神との和解のするところから始まる。これなしに、世界の究極的救いはありえない。
したがって、キリストの十字架の死によって、全人類はすでに救われているとする新普遍救済主義(ネオ・ユニヴァーサリズム)をしりぞけ、信仰と悔い改めによって新生させられた者だけが救われることを主張する。
《V 宣教の方法》
1.日本人への宣教
わが国において、プロテスタントの福音宣教がなされて以来、すでに、123年たったが、今なお信者の数は少なく、全人口の1パーセントにも満たない有様である。宣教の停滞性は、わが国の歴史的事情や国民性にもよろうが、その精神的土壌の解明が不十分であることにもよる。
この会議においては、その点についての指摘、解明がある程度なされたので今後、引き続いて、この点に力を入れ、良い地に落ちた種が百倍もの実を結ぶとの主の教えに従い、多くの実を結ぶ宣教へと励みたい。私たちは借りものの思想や発想ではなく、自分たちが当面している諸問題に対して、問題意識を持ち、その解決に励むことが必要である。
2.宣教の方策
福音が変質することなしに浸透していくためには、宣教の内容とともに、宣教の方策を無視することはできない。すでに着手されている諸研究の成果を取り入れ、また近代の化学技術を活用し、福音を宣べ伝える方策を考究していかなければならない。
特に、日本人の多くは文書の読解力を持ち、またマス・メディアが浸透している点などを最大限に利用しなければならない。福音を受け入りやすい層、福音を受け入れにくい層、また、一度も福音を聞いたことのない人々に対し、それぞれに適切な方策が必要である。
《W 宣教の担い手》
1.教職と信徒
宣教の担い手は教会である。教会は、教職も含めたすべてのキリスト者によって構成される。つまり、宣教は、教職と信徒によって担われる。したがって、信徒が福音宣教できるように、教会は、教職のリーダーシップの下に、教育、訓練する責任がある。
神は、教会がその宣教の使命を果たしていくことができるように、教育、訓練をする。信仰から離れていく人々の多くは、このような教育、訓練によって健全に成長していなかった人々であるので、この教育、訓練は、今日の教会にとって極めて重要である。また、教職の継続教育の必要も考慮されなければならない。
2.教会の成長
教会はキリストのからだとして、いのちが与えられ、かしらであるキリストの標準にまで成長していくものである。成長しない教会は、宣教の使命を十分に果たすことができない。教会は、かしらであるキリストに服従することによって成長していく。
私たちは既成概念にとらわれず、閉鎖的になることなく、積極的に未信者の社会に出て行き、かしらであるキリストを証しし続ける教会であるべきことを聖書から教えられる。
3.キリスト教倫理
教会は、この世にあって福音を宣べ伝えるために神が定められた群れである。したがって、教会は、世の光、地の塩としての役割を果たし、混迷を極めた現代において、真の正しい倫理を提示していく責任がある。私たちは、家庭および社会において強力な証しをし、この世にあって平和と正義と自由の確保のため、預言者的働きをしなければならない。
特に、靖国神社問題などに見られる右傾化や戦争への傾斜を憂え、核兵器による唯一の被爆国のキリスト者としてあらゆる武力行使による問題解決に反対し、平和への努力をかさねる決意を表明する。
日本および世界において障害のために苦しんでいる人々、また貧困のために餓死していく人々を放置したままにしておいてはならず、いのちの尊厳を主張し、彼らのために愛のわざを実践し、救済活動を行なうことが、私たちの努めであると信じる。また、世俗主義の横行する社会にあって、キリスト教倫理を確立することによって、私たちは、世の光、地の塩としての役割を果たしていくべき責任を痛感する。
《X 宣教のための協力》
1.国内宣教における協力
私たちは、世界宣教の中に位置づけられた国内宣教を考えるとき、みことばに基づいた教会の可視的一致が、神のみこころであることを確認する。宣教においては、私たちの一致は重要であり、私たちの宣べ伝える和解の福音は、私たちの一致によって強力な証しとなる。
しかしながら、その一致は、必ずしも組織・機構上の一致を意味するものではなく、聖書信仰に立った交わりと働きと証しにおいて、一致し、協力することである。普遍的公同教会の一員としての自覚に立ち、まだ主の救いにあずかっていない、わが国99パーセント以上の人々への宣教のために協力しなければならない。
そのためには、聖書信仰を基盤とし、諸教会間の協力とともに、超教派の伝道諸団体、神学校など、あらゆる団体との積極的な協力が必要である。それには、超教派の団体の正しい位置づけが必要である。
2.世界宣教における協力
私たちは、世界の総人口の3分の2以上の人々が、まだ福音に接したことがなく、放置されたままであることの責任を、神の御前に痛感する。わが国からは百数十人の宣教師が海外に派遣されているが、なお不十分であり、さらに多くの宣教師が送り出される必要がある。世界の諸教会、超教派の重荷を分かたなければならない。
したがって、宣教師を海外に送り出すことだけでなく、海外からの宣教師を受け入れ、世界宣教のため、海外の諸教会との交流を盛んにし、聖書信仰に立った国際的な団体や運動と緊密な連絡を保ち、世界宣教の一翼を担うために喜んで犠牲を払い、主のみわざを推進させることに参加する決意を表明する。
《Y キリストの再臨と宣教》
私たちは、イエス・キリストが世界の救いを完成し、さばきを行なうために、力と栄光のうちに、再び来られることを信じる。この再臨の約束こそ、私たちの宣教を促進させるものである。「福音が全世界に宣べ伝えられてから終わりが来る」との主の御約束に従い、宣教する使命が私たちに与えられている。
この終末の時代には、偽キリストや偽預言者が現われるが、私たちはキリストの福音をみことばに基づいて宣べ伝えなければならない。人間の努力によって、この地上に永遠の楽園が実現するのではなく、キリストの再臨によって、神の支配される新天新地が出現するのを待望しつつ、宣教の原動力である聖霊によって、福音宣教の達成に励むものである。
私たちは、聖書信仰に立ち、福音宣教のために、キリストの証人として立てられた者たちである。この使命を果たすため、主の御前に献身を新たにし、福音宣教の前進のために祈り、協力し、あらゆる犠牲を払うことを表明する。わが国の福音派の再編成をも含めた具体的協力のあり方については、今後、日本福音同盟において、さらに探究し、神の栄光の現わされる働きを遂行することを決意する。
主よ。私たちに上からの知恵と力を与え、主の忠実な証人となることができるように助けてください。
アーメン。
1982年6月10日
日本福音同盟 第2回日本伝道会議